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まさについて

  私は幼い頃からいつも不安を感じ、思い悩んでいました。「死ぬとどうなるんだろう?」「生きるってどういうこと?」からはじまり、「僕がこの時代にこの親の元で生まれてきたのは何か意味があるんだろうか?」「僕の使命なんてあるの?」・・・。子供が考えることですからもちろんすぐに答えが出るわけではありません。ノイローゼになりかけた時期もありましたが幸いに持ち直し、学生になる頃には自分なりの一つの答えを持っていました。それは、「私や私の行うことに触れる人が、そのことで今までとは違うものを得てくれればいいのではないか。例えば「気分が良くなった」「ためになる知識を得た」「儲かった」[生きる活力が生まれてきた」・・・何でもいい、とにかく何か少しでもベターになってもらえたらいい。その姿を見ることで僕は満足や達成感を得て、僕が今、存在する意味がある。」というものでした。それを私は勝手に「better論」と呼んでいました。

 その後、私は「人が快適に生きるにはどうしたらいいか」というテーマを追うようになり、まずは自分が快適に暮らすことが先決と、土木工学科で学んだ後は東京で自由な人生を謳歌していました。その間、経営コンサルティング会社や新規事業開発プランニング会社に勤め、新スポーツの普及団体を設立し初代事務局長として普及運営に努め、また企業CIおよび文化行政のプロデュースを行う企業に勤めるなど、様々な業界を渡りながら貴重な経験を積ませていただきました。

 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きました。私自身は直接被災しませんでしたがその出来事は私の気持ちを大きく揺さぶりました。それは一言で表わすと「もうモノの時代ではない。これからはコトと心の時代だ!」というものです。それまで、快適な暮らしとは「便利なモノに囲まれ、お金を蓄え、その上で自然や周りの環境に感謝し、配慮する暮らし」というイメージを持っていました。ところがこの時期から快適に生きる意味の違いを感じ始めるようになりました。「モノに溢れた東京に埋もれていたのでは本質がわからなくなる。早く都会から出よう!」それまで何度か通っていた八ヶ岳に移住することを考えはじめました。

 そうは言っても最後に決断する時は迷いました。「本当に食っていけるのか?」「どんな暮らしが待っているんだろう?」そのように考え始めると、まるで自分が崖っぷちに立っていて、断崖をはさんだ反対側に行こうとするのに、その間はとても幅が広く、しかも断崖の底はとても深く、急流が流れているような気がしました。当時は好きな仕事ができ、やりがいもあり、日々充実していました。ですから川は渡らず、八ヶ岳に別荘を建てて週末を過ごし、平日は会社員として安定した暮らしを続けることもできました。でもそれでは本当に自分が望む生き方を実践できるのか?・・・数日間悩んだ結果、目をつぶって川を渡ることにしました。「田舎に移住しよう。あとはきっと何とかなる!」

  1996年秋、生まれ変わったつもりで八ヶ岳に移住しました。始めのうちは収入もありませんでしたが、知的障害者の更生施設でボランティアをするうちにそちらでの調理員兼支援スタッフとして雇われるようになり、その後自然派化粧品会社のマーケティング業務を行いながら、一方では趣味であった陶器鑑賞が高じて陶芸の窯や工房を持つようになりました。その際、工房を「年中無休・24時間開放・完全無料」のフリースペースとして一般に開放したことで、お金には替えられない貴重な人間関係を広げることができました。

  以上の経歴を経てようやく最近になって「快適な暮らしとは、自然の中で、自然に学び、そして何よりも自然体で暮らすことである」という心境を持つようになりました。また、2003年には八ヶ岳の自然に詳しい人(食堂『八ヶ岳・仙人小屋』のご主人。その知識の豊富さから「仙人」と呼ばれています。)の下に弟子入りし、毎朝山に入って山菜やキノコを採り、それらを調理してお店で提供することを通して、自然の知識と摂理と人との接点の持ち方を学んできました。

 さてこの度、親が弱ってきたことがきっかけで八ヶ岳を離れ、一旦関西に戻りましたが、まさにこのタイミングでパートナーが現れ、今年の元旦に入籍しました。「人生80年」と呼ばれる中での折り返し点を過ぎたこの身の今後の人生設計をいかに立てるかですが、要はこれまでの経験と能力を生かしつつ、社会にご恩返しをすることで次の世代に何かを残していくことなのかなと考えています。私が出来ることは「まとめる」ことです。企業経営者が、行政のご担当が、そして個人が、これから先どうやって進んでいったらよいのか悩んでおられる時、お話を伺いながら状況をまとめ、将来に向けての方向性(ビジョン)を見つけていくお手伝いができます。以前ある高名な占い師に観ていただいた時、私のことを次のようにおっしゃってました。「持って生まれた最大の質は「希望」。常に希望を持ち続ける事。そのことで本人は勿論、周りの人も幸せにする。希望を捨てた時に駄目になる。どちらかと言うと、「月」「ろうそく」のようなタイプ。周りが暗いところで自分が生きる。例えばつぶれかかっている会社とか、新しい事業を起こそうにもどうすれば良いか分かっていない職場とか。そのようなところで、ちょっとした配慮や判断が周りにとってとても優しく、心強く感じられる。」なるほどと納得する面がありました。

 これから先の暮らしですが、まずは関心のある分野での知識を深め、経験を積み、それらをつないでいきたいと考えています。企業の環境マネジメントシステム(EMS)確立や、環境・自然・人権・地域活動などの社会活動責任 (CSR)のあり方に対するサポートをする業務につければと願っています。農的な循環型社会の実現を目指すパーマカルチャーを学び実践もしていきます。また、大学の恩師の下で、環境や地元市民・企業・行政との共生を図りながら地域開発を進める方策「エコ・リージョナルプランニング(仮称)」分野の確立に向けての研究も行っていきます。これらの活動を通して、日々生かされていることに感謝し、自然や環境(自分を取り巻く出来事や出会いも含めて)に配慮し、そして社会に対して責任を持つことの大切さを伝えられるような業務を行うことが出来れば幸いです。

 また、近い将来に岐阜県の山村に移住します。加子母(かしも)村に建つ古民家をこのほど手に入れました。これから家屋や周辺の田畑をデザインし、山にも入って山菜やキノコを採取し、自給率の高い暮らしを実践していきながら、将来的には自然の恵みをいただくレストランや小さな宿、陶芸や漆器の工房、ギャラリーなどを開いていくつもりです。これらの夢を一歩ずつ、楽しみながら進めていくつもりです。