もりのいえ物語

vol.1 大辛ファイヤー!®︎物語

 

私が「辛くて旨い味」に初めて出会ったのは、1970年の大阪万博でした。会場を訪れた当時9歳の私は、観るもの聴くもの全てが初めてで、大興奮していました。

そのうちお昼時になり、両親が選んだのがマレーシア館でした。そこで食べたカレーの、辛さと旨味にビックリしました。それまでに家で食べていたハウス印度カレーとは全く違っていました。「これがカレーなのか!」その時から私の「辛さ」に対する扉が開きました。

その後、食べるものに七味や一味、タバスコをかけるのが楽しみになりました。大人になってからも、評判のカレー屋さんを訪れては大辛カレーを注文していました。カレー屋さんになろうと真剣に考えていた頃もあります。

 

2005年、加子母に移住した後も、地元の唐辛子やハバネロを手に入れては、いそいそと刻んで辛味ソースを作って愉しんでおりました。元々、工夫をするというのが好きで、いろんなレシピで辛味ソースを作っては愉しんでいました。

そうこうするうちに、辛味ソースのレシピがある程度決まってきた時期のことです。訪れた友人に自前の辛味ソースを提供したところ、「まぁさん、これは売れるよ!」と助言してくれました。

通常でしたらいわゆる褒め言葉として軽く受け流すようなことなのでしょう。大阪ならば、ちょっと面白いヤツに「お前、吉本に行ったらええねん!」と声かけする程度のことだったかと思います。

ただその時の私は、友の言葉がスッと入ってきました。「そうか、これは売り物になるのか!」という感覚です。

ただ売るとなると、それなりの規格と段取りが必要です。どのようなレシピで同じ味を作れるか?容器は?そしてどうやって告知する?

分からないことだらけでしたが、ともかくもやってみよう!ということで、70本程度のボトルを購入して、作って詰めて、周りに声をかけてみました。商品名は妻の理恵の発想で、「ファイヤー!」と名付けました。2010年9月28日のことです。

するとそれが即完売!これには驚きました。そしてその最中に起きたある出来事が私の背中を押しました。

それは友人が開催した、あるマルシェのようなイベントでした。その際、【もりのいえ】は理恵のお菓子と、タコスを販売しました。そのタコスにかけるソースの一つとして、ファイヤー!の瓶を置いていて、「お好きにどうぞ」と提供したのです。

その店に、一人の中国人女性がやって来られました。そしてタコスにファイヤー!をつけて食べた後に、彼女はこう言ったのです。

「これは私の祖国の味です。私はずっとこの味を探していた。日本の辛い味は辛みが強いが旨味がない。これこそが私の求めていた味です!」

その時の彼女の様子は、お世辞ではなく、「本当に求めていたものに出会った!」というものでした。その姿をみて、私は、「このファイヤー!は自分が思っている以上に広く受け入れられるものかもしれない」と感じたのです。

この出来事が私の最中を再び押してくれました。

その後も私はファイヤー!を少しずつ作り続けました。この当時のファイヤー!は、今の製品と比べるとカットが大きかったです。「大辛唐辛子やニンニクを食べる」という感じでした。作り方に改良を重ね、ネーミングや、ラベルデザインに妻が描いた恐竜がまた評判を呼び、少しずつファンが増えていきました。それでも当時はまだ大した分量ではなく、私の道楽そのものでした。

当時のファイヤー!は、材料を全て購入して作っていました。レシピは直感です。原材料の水分以外に水は加えず、醸造用アルコールを使わない日本酒を加えて十分に煮込んでアルコール分を飛ばしました。隠し味としては泡盛を使っています。最初に仕込んでから30年ほど経っている古酒です。油も厳選の菜種油を使用しています。

「自分が食べたいもの」を目指した道楽だからできたと言いますか、採算性など全く考えないで作っておりました。願ったことは「辛くて旨い!」それだけです。

そんな自分自身の愉しみをお裾分けするような気分で周りに伝えていくうちに、思わぬ反響が聞こえてきました。

「もう手放せません!」
「食卓にファイヤー!が無いと寂しくなる」

こんな意外なコメントもいただきました。

「つわりで食欲が湧きませんが、ファイヤー!を付けると食べられます!」
「私は辛いものが苦手なのに、何故かファイヤー!は美味しく感じるのです!」

そして、一度ファイヤー!を購入された方からは、次のような言葉をいただくようになりました。

「ファイヤー!が切れました!」

「無くなった」とは言わずに「切れました!」なんて、まるで麻薬性があるかのようですが、決して怪しい食品ではありません。それくらい、その方の食事に馴染んでいるということなのでしょう。

 

 

そんなファイヤー!を少しずつ作り増やしていた最中、転機が訪れました。

2013年7月29日、妻が交通事故に遭いました。

雨の日に対向車がセンターラインをオーバーして、妻の車に正面衝突したのです。車は大破。ボディが妻の両足に食い込み、レスキュー隊が救出するのに1時間以上かかるほどでした。

事故で生き残ったことが奇跡。その後もリハビリで復活できたことも奇跡でした。

妻の事故を契機に、私たちの暮らしは一変しました。当時の私たちは「イベント宿屋」として生計を立てていたのですが、全ての宿泊予約やイベントを中止しました。そして当面は妻の見舞いと、子供達に向き合うことに集中しました。

それは家族にとって必要な時間でした。同じ屋根の下で暮らしながらも、なかなか子供たちだけと向き合うことが無かった私にとり、貴重な機会となりました。子供たちも父親との距離が縮まり、喜んでいる様子でした。

事故を知った方々からは沢山のお見舞金が届きました。本当に有り難かったです。しかしそれでも、それがいつまでも続くことはありません。

「妻がいつ、どのように復活できるかは分からない。これから先、【もりのいえ】をどのように運営していこうか?私たちはどうやって生きていこうか?」

このように考えているうちに浮かんだのが、「ファイヤー!の本格製造販売」でした。

ファイヤー!ならば、こちらの都合で製造できる。そして日持ちもする!

そこで、大量の原材料を仕入れ、ファイヤー!を作り始めました。2013〜14年のシーズンに作ったファイヤー!は700本になりました。

そのファイヤー!は、あっという間に無くなりました。私たち家族への応援というのもあったのでしょう。ブログで告知しましたら、どんどん注文がやってきました。

そしてすぐに無くなったのには他にも理由があります。私がどんどん無料で配ったのです。

それは、これまでに支援してくださった方々へのお礼の意味でした。お見舞い返しとしては不十分でしたが、その当時にできることは、ファイヤー!をお渡しするしかなかったのです。

でも結果的に、このことでファイヤー!のことを知ってもらえる人が増えました。売り込むつもりはなかったのですが、結果的にプロモーションになりました。

 

 

 

その後、ファイヤー!は順調に売れ続けました。年々熱烈なファンが増え続け、「作れば売れる商品」に育ってきました。

そして2018年、私は新たな決心をしました。「これからはファイヤー!をより本格的に製造し、暮らしの柱にする!」

 

畑の面積を広げ、土を作り、主な原料である大辛唐辛子とニンニクを自家生産し、それを加工して付加価値を付け、エンドユーザーまで届ける。

川上から川下まで一貫してやる!このようなスタイルを「6次産業化」と呼ぶことを後で知りましたが、それを全て自分でやり遂げられる機会はなかなか無いことです。その貴重な体験を通して生かさせていただく。その決心をしたのです。

その決心の元に、「専用の工場を作る」というビジョンを設け、自作クラウドファウンディングで建設資金を募集し、2019年3月に無事、「ファイヤー!工房」が完成しました。

加えて、待望の商標登録の審査が通りました。

「ファイヤー!」は、某大手飲料メーカーさんが缶コーヒーで商標登録されている商品名と酷似しています。コーヒーと香辛料は同じ分類なのです。

ファイヤー!が無名の間は、このままでも許されるかもしれません。でも、もしかしていつの日か、この商品が日の目を見る時がきたら、このままではまずいです。

そこで特許事務所と相談し、「大辛ファイヤー!」で申請したところ、無事審査が通りました。

こうして、晴れて「大辛ファイヤー!®︎」として認知されたことで、ようやく広く積極的に告知する土壌が生まれました。

さてこの大辛ファイヤー!時折、「どのように使えば良いですか?」と質問を受ける時がありますが、辛いもの好きな私としては、「何にでもつけて楽しんでください!」とお答えするしかありません。

というのも、辛いものが好きな人は、あれこれ言わずに何にでも大辛ファイヤー!を付けられるからです。ですからあなたも是非いろいろ試していただきたいですが、まず間違いないのは、カレー、麺類、中華料理、炒め物ですね。また鍋物や煮物、サラダ、冷奴にも合います。お味噌汁に一滴たらすだけで味噌ラーメンに早変わり!

食欲増進にも一役かいます!冬は体が芯から温まります!私自身の体験では、かつては35度代の低い方だった体温が、今では36.5度前後になりました。これは大辛ファイヤー!のおかげだと自分では信じています。

例えば家族で辛いものが苦手な方がおられる場合は、手元で大辛ファイヤー!を好きなだけ付けて調整する方法があるでしょうね。

こんな大辛ファイヤー!是非、大勢の人々にこの辛さとうまみに触れていただき、健康にそして幸せに暮らしていただきたい。それをいつも願って、私は畑やファイヤー工房で勤しんでいます。