もりのいえ物語

vol.2 加子母「もりのいえ」広大な畑と古民家

大阪の住宅街で生まれ、東京で闘うビジネスマンだった私(まぁさん)は、1995年の阪神淡路大震災を見て「生き方を変えよう!」と決心し、紆余曲折を経て、岐阜県の加子母に移住しました。

住まいを改造して【もりのいえ】と呼ぶコミュニティを主宰。お醤油づくりやイベントなど、様々な活動を通してあたたかい人のつながりを作ってきました。

2021年からは住まいを同じ中津川市の落合に移したため、加子母は「大辛ファイヤー!®︎」の原料となる唐辛子・ニンニクの生産、加工の場となっています。

 

 

農作業には徹底的にこだわっています。まずは前の年の土づくりからです。晩秋の頃に、牛糞堆肥、米糠、有機石灰(貝殻の粉)を撒き、十分にかき混ぜてからひと冬を越します。初春にも再び同じものを加えてまたかいて、栄養たっぷりの畑地にします。

また初春には前年収穫した大辛唐辛子のうち、特に育ちが良かった選りすぐりの種を一粒ずつ丁寧に苗箱におろし、芽出しを待ちます。加子母は朝晩相当冷えますので、夜は家の中に入れて暖をとります。

こうして出てきた大辛唐辛子の芽は、まるで遠吠えをするように双葉が広がり、本当に可愛いです!実は私は大辛唐辛子のことを「から子」と呼んでいます。そう呼ぶことで、から子たちも私の想いを受けとめてくれるように感じているのです。そう、私とから子は愛し合っています。

苗箱の中で葉を伸ばし始めたから子たちは、やがて一つずつポットに移して大きく育てます。そしていよいよ苗を畑に移す時がやってきます。

通常、唐辛子を畑で育てる時は、株間は50cmほど開けるようにと指導されています。ところがそれではうちの大辛唐辛子は窮屈過ぎて大変です。というのも、一株が大きく育つため、とてもそんな株間ではもたないのです。

うちでは大辛唐辛子の株間は1mほど開けています。植えた当初は株の間がスカスカして寂しい感じさえしますが、そうすることで一つ一つが大きく育つのです。また、唐辛子と相性の良いネギを一本、一緒に植えていきます。こうすることでお互いが大きく育ちます。

支柱の立て方も季節に応じて変えていきます。苗の枝が育つ方向に支柱を立て、無理なく存分に枝を伸ばせるように支えます。

やがてから子は小さな可愛い花をたくさん咲かせ、一つ一つが実になっていきます。その育つ姿を見ることが何よりも嬉しくて、夏場は夜明けと共に畑に出て、から子たちと挨拶をしながらメンテナンスをします。

ある時、妻が畑に私を呼びに行った時、私が話し込んでいる姿を見て、「一体、誰と会話しているの?」と不審に思ったそうですが、その時、私はから子と会話していました。

そしてその様子を見られた時、「見たなぁ〜」という顔をされて再び驚いたそうです。そう、それはまるで逢瀬を目撃された時のような様子だったそうな。

それほど愛し合っているから子と私です。

 

そんな愛情をたっぷりに受けたから子たちは、驚くようなリアクションを見せてくれます。十分に株間を開けたスペースに大きく枝を伸ばし、そして一つ一つの実がとても大きく育つのです。

どれくらい大きいかと言いますと、太マジックよりもワンサイズ大きいくらいと言えばイメージできるでしょうか?長くて太い!そして艶々のプリプリ!愛情をかけるとこれほどまでに応えてくれるのか!と驚くほどです。

 

一方、ニンニクも前年秋から育てます。土の作り方は同じです。特にニンニクは土の養分をしっかりと取り込んでいきますので、念入りに土づくりをした上で植えていきます。

マメに草を取り除き、追肥をして、ひと冬じっくりと見守っていきます。大辛唐辛子を「から子」と呼ぶのと同じように、ニンニクも「にんに君」と呼んで大切に育てていきます。寒い冬を越えたにんに君たちの茎が太くなってくると、ほっとすると同時に、感謝の気持ちが湧いてきます。

ニンニクの収穫は6月ごろです。【もりのいえ】では収穫した後の早い時期に一片ずつにばらして保管します。ニンニクはすぐにカビがつくなど、傷みやすいのです。

一方、大辛唐辛子の収穫は秋です。当初は緑色の実が次第に赤く染まっていきます。赤くなった、良い姿の実のみを収穫していきます。

こうして愛情を一杯に注いだ大辛唐辛子とニンニクをベースに、他にもこだわりの素材を使って、いよいよファイヤー工房にて大辛ファイヤー!の製造が始まります。